とりあえず、足腰も立たないほどぼこぼこにされた彼女を抱きかかえると、僕は彼女の部屋へ向かった。
本来なら女子寮は男子禁制なのだが、誰一人として僕に文句を言う者はいなかった。
の部屋は一番奥の一人部屋だった。
腕の中にいる彼女は何も言わず、虚ろな目を向けている。
呪文を唱えてドアを開けた。
意外と部屋の中は荒らされた形跡もなく、本やノートが綺麗に本棚に並べられていた。
部屋の真中に置いてあるテーブルの上には壊された羽ペンやローブ、それに救急箱が置いてあった。
毎晩、目立たないところにつけられた傷を一人で手当てしていたらしい。
随分少なくなった消毒液が出しっぱなしになっていた。
今更ながら僕はを不憫に思った。




彼女を天蓋付きのベッドに横たわらせると、僕はいつか本で覚えた治療用の魔法の呪文を唱えた。
なかなか難しい魔法で、一度使うと当時まだ未熟だった僕は体力をかなり消耗してしまう。
だが、躊躇することなく僕は唱えていた。
これ以上痛々しい彼女の姿を見ていられなかった。
にとっては不可解極まりない行動だったろう。
ぽかんとした顔で僕を見ていた。




「何でこんなことするのか、って顔してるね」僕はの目を捉えて言った。
驚きの色を隠せない彼女の目を、僕はこのとき初めて見た。
感情を顕わにした目など見せたことがなかったからだ。
「あ、いや、ありがとう」と彼女はまごつきながら礼を述べた。
「見ず知らずの人に助けていただくとは…何と言えば良いか」
は上半身を起こしてふかぶかと頭を下げた。
『見ず知らずの人』というのは、『全く関わりのない人』ということだろう。
彼女にとってはホグワーツのほとんどが『見ず知らずの人』となる。




正面から頭を下げられ、いつになく照れてしまった僕はどうすれば良いのか分からなくなった。
苦し紛れに見えないよう気を配りながら話題を変えた。
「…いつも苛められてたみたいだけど。よく耐えられたね」言いながら少し彼女から視線を外した。
「何で苛められてるか分からなくて」
予想外な答えに僕は驚嘆した。
驚いて思わずの方に思い切り視線を戻すと、彼女はびっくりしたように身体を引いたが
やがてにこっと微笑んだ。
笑った顔は太陽のように眩しい。
僕は無意識に彼女から目を逸らしてしまった。
「『穢れた血』ってのが何だか分かんなくて、どうしようかなぁ、と思ってたんですよ」
僕は開いた口が塞がらなかった。
全てが意外過ぎた。
いつでも毅然とした少女だと思っていた。
大分了見違いだったようだ。
「そしたら、今度は突然殴られたでしょう。何が何だか、さっぱり」
彼女はお手上げのポーズをした。




僕はしばらく声も出なかった。
「…あの?」は訝しそうに僕を覗き込んだ。
僕ははっと我に返ると、今度はまじまじとの顔を見つめた。
心なしか普段の彼女より、言い方は悪いが、少々間の抜けたあどけない表情をしているように見える。
なぜだか心がほっとして、僕はふと頬が緩んだ。
こんな経験は後にも先にも彼女の前でしかしたことがない。




「本当にありがとう。…あの、お名前は?」
その日、二度目の衝撃だった。
自分で言うのも何だが、僕はホグワーツにおいてなかなかの有名人だった。
はっきり言って同じ寮で僕のことを知らない人は彼女以外に一人たりともいなかったろう。
『見ず知らずの人』の解釈の仕方を間違えていたようだ。
「トム・マールヴォロ・リドル。T、O、M、M、A、R、V、O、L、O、R、I、D、D、L、E」
ご丁寧にスペルまで教えた。
「へぇ、リドル、君。何年生なんですか?」
僕はそのとき、半ば諦めにも似た思いを感じた。
なるべく平静を装って「君と同学年だよ、ミス・」と微笑んだ。
は意外そうな顔を諸に向けた。
「同い年で私なんか助けたら、明日から生活し難かったりするんじゃない?
同じ学年かぁ〜…他人に興味なかったからなぁ」
いやはや申し訳ない、と彼女は沈痛な面持ちで再び頭を下げた。
綺麗なお辞儀だな、と僕は思った。
それと同時に哀しいお辞儀でもある。
僕はに頭を上げさせると心から微笑んだ。
自分らしくもない行動に、その日三度目の驚きを覚えた。
そのまま立ち上がると「今日はお大事にね」と早口で言って、僕は部屋から逃げるように出た。




マグル出身の少女を見て心が和むなどあってはならないことだ。
憎むべきマグルなのに。
この世から消滅させてしまうことが目標なのに、どうして僕は助けているんだろう。




そんな心理的葛藤に悩まされたが、それすらもの姿を見ることで消え去ってしまう自分がいた。
それどころか、自分自身を恨めしく思う自分がいた。
彼女が苛められていたことを知りながら、彼女の魅力に気付くこともなく、ただひたすら
傍観者に徹していた自分に胸の奥が痛くなるような恨めしさを覚えた。