ウィルに誘われて取った「マグル学」は僕にとってこの上なく下らない学科だった。
そして、同じくウィルに誘われて取ってしまったは眠っていても高得点を取れていた。
マグルにマグルの日常生活を教えてどうする、とその授業中はの睡眠時間と化していた。




ある日、マグル学の授業で「人魚姫」というアンデルセンの童話を読まされた。
美しい人魚姫がいて、彼女は王子に恋をする。
助けたのに、王子は彼女に気付かない。
人魚姫は声と引き換えに人間の足を手に入れるが、王子は違う姫と結婚するという。
彼女は王子を刺すか、自分が死ぬかの二択を迫られる。
そして、物語は人魚姫が死を選び、海の泡となるくだりで幕を下ろす。




はその日も熟睡していた。
頬に無造作にかかったこげ茶色の髪、東洋人にしては白い肌、薄い桃色の唇。
一つ一つのパーツがを作り上げているのだと再認識させられる。
どこか儚げな彼女を見ながら、僕は突然どくんと心臓が鳴るのを感じた。




こんなにも幸せな時間は、もう二度とこない。
幸せな時間の後に待っているのは、絶望だ。
この世に光と闇があるように、朝と夜があるように。
永遠にこの幸福が続くことなど無い。
一人一人に与えられた幸せという名の時間が決められているものならば、僕はすでに
全ての時間を消尽しているかもしれないのだ。
そう思うと居ても立ってもいられなかった。
早急に世界を手に入れねばならない。
与えられた幸せの時間などいらない。
たとえ全ての時間を使い果たしていたとしても、いくらでも増やしてみせる。




人魚姫に与えられた幸せの時間はあまりにも短かった。
いや、幸せな時間などなかったと僕は思う。
僕達は海の泡になどならない。
哀れな人魚姫のようにはならない。
王子のついでに、その相手の女も刺し殺す。
魔女でも自分の姉達でも殺してみせる。
幸せな時間を増やせるのならば。




「何怖い顔してんの?リドル」
いつの間にか起きていたは、いかにも眠そうに大きな欠伸をした。
そして黒板を一瞥すると、
「人魚姫。下らない話だよねぇ、私なら絶対刺すけど」
と口に手をあてて欠伸をしながら言った。
僕が言うのもなんだが、普通のマグルの少女はそんなコメントを付けないと思う。
哀しい、切ない、そんなところではないだろうか。
だからと言って、に神妙な面持ちで「無償の愛の象徴だよね」などと感想を述べて欲しいとは思わない。
の考えに同感だからだ。
第一、彼女がそんな感想を述べたりしたら明日は確実に槍が降る。
それでマグルが絶滅するのも悪くはないが。




「マグル学の授業中に、マグルを絶滅させる方法とか考えないでね。
エリザベス女王に呪われちゃうぞ」
まるで僕の考えを見透かしたかのようにはにやりと笑って言った。




その直後だった。
は突然ごほごほと咳き込んだ。
「大丈夫か?」と彼女の背をさすりながら尋ねると、ただの風邪だから、と笑っていた。
「リドルは優しいなぁ。いいねぇ、イギリス紳士は」おどけて言うと再び咳き込んだ。
彼女はおもむろにローブから小瓶を取り出すとそれを一気飲みした。
その小瓶からは、あの甘くてほろ苦い香りがしていた。